ドラマとしての放送期間は1983年1月9日~12月18日(全50回)
役所広司出演回は第4回「忍従無限」(1月30日)から第24回「本能寺の変」(6月19日)まで【うち第6回・第15回・第22回は出演なし】
近年ドラマが面白くなくなったという話をよく聞く。以前のようにテレビは一家に一台、ビデオも無いという時代であればある程度ドラマの視聴率が高いであろうことは容易に想像がつく。しかしテレビは一人1台、ビデオも普及している現在では、視聴率そのものの低下・分散傾向は時代の流れである。にもかかわらず制作者は過去との単純比較による視聴率獲得に躍起となっている。結果として「人気俳優のスケジュールを押さえてから脚本を考える」ということとなる。最終週に「いいとも」に宣伝で登場した俳優が「明日最後の撮りなんですがまだ脚本ができてないんです」なんてことを平然と言ってのけ、聞く方も当然ととらえているのは全く異常なことだ。人気俳優というのも固定化されているのみならず、「アンタもう出てこなくていいよ」と思えるような人物が某局看板枠の主役に起用されてしまう現実だ。結果同じようなメンツが同じようなドラマを展開する状態となっているように感じるのは私だけではないはずだ。
大河ドラマは流石に上記のような「撮影直後に放送」なんてことは無いが、「視聴率のとれる俳優を優先的にキャスティングする」という志向は近年顕著である。思い出してみてほしい。近年の大河ドラマの主要キャストで「おや、この俳優は知らないぞ」と思ったことはあるだろうか? 筆者は唯一「北条時宗」の北村一輝を思い出すが、周りが地盤沈下した結果キャラが立ってきたということであり、初めからアナウンスされていた「主要キャスト」ではない。このように、大河ドラマもあまりに視聴率を意識した結果、民放と同様の安直なキャスティングをし始めている。
本題に入る。織田信長という人物は時代劇として最も人気の高い人物であることは明白だ。それだけに本作のように織豊時代を描くようなドラマで信長を演ずる役者を検討するというのは、制作側にとってみれば悩みの種であろう。故に普通は所謂「主役級」の俳優(時には本来の主役よりも格上の役者)を据えることが多い。
このパターン唯一の例外が当時無名の俳優にすぎない役所広司を信長に起用した本作だ。これ以前のドラマ出演は率直に言って端役ばかり、それも全て単発的な出演ばかりで、続き物のドラマにキャスティングされたのは強いてあげれば「なっちゃんの写真館」くらいである。言い方は悪いが限りなく「その他大勢俳優」に近い。
その俳優をNHKが最も力を入れる大河ドラマ、しかも【徳川家康】の生涯を描いたドラマの【織田信長】として起用したのだからまさに大英断である。と言うよりどう考えても無謀・唐突な人選である。当初は沢田研二にオファーしていた(これは至極当然の選択である)が都合がつかなくなり急遽役所広司に白羽の矢がたったというのがその真相という。また、本作の2年前「おんな太閤記」における織田信孝役の熱い演技が制作側の記憶に残っていたことがきっかけとなったという話もある。
確かに役所広司はこの時点では無名塾で徐々に頭角を示してきた若手有望株(ではあるが隆大介氏の方が先を行っていた)であり、この抜擢にも十分好演をもって応えられると制作側は予測はしていたと考える。しかし一方で仮にこの起用が失敗に終わったとすると、制作者の責任は当然ながら役所広司自身のその後の俳優生命も危機に陥るような状況と考えられる。よく役所広司(と仲代達矢)がこの難役を引き受けたものだと感心する。よほど肝がすわっていたのか、それとも若さゆえ後のことは何も考えずに突っ走ったのか。
こういう最近になってわかってきた背景はともかく、何も知らない当時小学六年生から中学校1年生になる頃の筆者にとって、全くの無名役者がまさに【織田信長】としてブラウン管に登場した瞬間の衝撃は大きかった。これはリアルタイムで体験した者でないとわからないだろう。世間でも「あの信長俳優は誰だ」と一躍着目され、気がつけば主役を食うような存在となっていく。役所広司の人気が高まったことから、信長出演回は当初予定より大幅に延長された。圧巻は「このドラマは『織田信長』なのでは?」と思わせるような力の入った作りの【本能寺の変】である。本作で一躍注目される俳優となった役所広司はこの年のエランドール新人賞を受賞、翌年の「宮本武蔵」での主役抜擢と続いていく。
上で「主役を食う」としたが、注意すべきは本作の場合前述した北村一輝のケースのように主役を含めた周囲が地盤沈下していたわけではないということだ。実際滝田栄の家康・武田鉄矢の秀吉はそれぞれ流石の存在感であり、脇を固める俳優陣もそうそうたるメンバーである。これら実績をあげている俳優陣の中で、無名俳優役所広司のインパクトがあまりにも強かったことを「主役を食う」と表現したことを付け加えておく。
結果として制作者と役所広司が打った一世一代の大博打(但し先にも記したが少なくとも制作者側には成功の確信があったに相違ない)は大当たりとなった。今後このようなケースがあり得るかどうか。冒頭にあげた現在の視聴率至上主義に陥ったドラマ制作の状況から考えて、こんなハイリスクの選択をする制作者がいるとは到底考えられない。俳優側でも仮にオファーがあっても一歩誤れば奈落の底という事態が待っており、自分の演技に自信を持って役を引き受けられるだけの度胸を持つ人物がどれほどいるものだろうか。あわせて考えると今後はまずあり得ないことになるだろう。こうして「役所信長」は大河ドラマ唯一にして最大の無名俳優の主要キャスト大抜擢として、その衝撃度と共に長く記憶にとどめられることとなる。
その結果がNHKが今年行った「もう一度観たい番組」アンケートの大河ドラマ・戦国時代部門上位獲得(主役以外ではトップ)に寄与していることは明白だ。これだけ人気があるにもかかわらず、NHKの大河ドラマ冷遇(→海外ドラマ偏重)から長らく再放送もなかったが、数年前にCSで放送されたことから、これを機に観たという人も多かろう。
以前はNHKから発売されている完全版ビデオ上下セット26本16万円(筆者はちょうど本能寺の変までが収録されている上セット13本を購入)くらいだったが、最近はより廉価なDVDも販売されている。最近映画を観てファンになったという方や、その頃はまだ生まれていなかったという若いファンの方には機会を見つけて是非観ていただきたいものである。
最近Yahoo!オークションを利用し始めた。「役所広司」で検索するとテレカやらポスターやら色々なアイテムが出品されていて面白い。その中からまず落札したのがこれ。「役所広司が『無名俳優』としてコメント」している最後の資料である。今読んでみるとなかなか感慨深いものがある。
(プロフィール)本名・橋本広司。昭和31年長崎県生まれ。東京都庁に勤務後、53年無名塾に入塾。公務員出身のため、芸名を”役所”にした、というエピソードを持つ。舞台・映画・テレビとも、まだ経験は浅いが、その個性的でシャープな演技は、大役・織田信長を演じるにピッタリの期待の新人である。
(役者からひとこと)信長は、その強烈な個性で四十九年間の生涯を休むことなく突っ走った感じがします。彼の喜怒哀楽の振幅の激しさは計りしれません。その変わり目のシャープさとテンポの早さを心掛けたいと思います。一般的には、狂気ともいうべき天才性とか冷酷さなどが知られていますが、原作を読んで彼の優しさというか愛情深さを強く感じました。だから信長の人間的な部分、つまり愛嬌みたいなものが出せるといいと思います。家康とは、男の友情を(成人として初めて再会し和議成立するところなど感動的に演じたい)、秀吉とは、腹の探り合いをユーモラスに、濃姫とは、男と女の愛情を越えた・・・・・今でいう、”とんだカップル”を演じたいと思います。信長はイメージとして動的な人ですが、それを際立てるために静的な部分を大切にしたいと思います。
信長には、面白いエピソードが沢山ありますが、その中でも一番印象に残ったのは、南蛮人に貰った地球儀を見ることが大好きだったこと。地球儀を子供のように見ている信長の後姿はなんともかわいらしい・・・。