放送日 1984年4月4日~1985年3月13日
当然ながらこれも欠かせない。役所広司が初めて主役を張った作品である。何と言っても「格好いい!」の一言である。当時家にビデオが無かった私は、毎回カセットテープに録音していた。(しかし残念ながらどこかに行ってしまった)その状態を不憫に思ったのかどうか、父親が会社のビデオを使って「総集編」を録画してくれた。5年ほど前、NHKで再放送されたが、当時大学生の私の下宿にはビデオデッキがなかった。ああ、無理してでも買っておくべきだった。
「宮本武蔵」の見所といえば、やはり決闘シーンということになる。ここで言いたいのは、役所氏はとにかく殺陣が巧いということである。番組中で決闘ベスト3を挙げるならば、「巌流島」「三十三間堂」「一条寺下がり松」というところになるだろう。中でもやはり巌流島が一番。
「臆したか武蔵!早巳の刻は過ぎたぞ」鞘を投げ捨てる小次郎「小次郎破れたり!」「何を言うか!」「惜しや小次郎、はや散るを急ぐか!」「何を言う!」「勝利を得んとする者が何故鞘を捨てるか!小次郎破れたり!」「黙れ武蔵、勝負!」浜辺を全力疾走で走る両者。武蔵が高くジャンプ、小次郎が必殺燕返しでこれに対する。武蔵の木刀が振り下ろされるのが早いか、小次郎の長剣が武蔵をとらえるのが早いか。行き違う両者。武蔵の頭に巻かれた鉢巻きが砂浜に落ちる。それを見た小次郎、勝利を確信しニヤリと笑うが、次の瞬間吐血し倒れ込む・・・
ところで役所広司の身長は確か178センチ。かなりの長身であるが、この「宮本武蔵」で佐々木小次郎役だった中康次(2015年に惜しくも逝去)は190センチ以上あったはずで、「長身対決」と言われていたものである。
放送当時、旺文社から毎月刊行されていた『現代視点・戦国・幕末の群像』シリーズの別冊として『宮本武蔵 勝利の条件』(1984年)が刊行されたが、この中に役所広司によるコメント「自分の中にも武蔵がいる」があるので、紹介してみたい。
『朝日新聞』の夕刊小説として登場して以来、吉川英治先生の『宮本武蔵』は映画、演劇、テレビ、ラジオとあらゆるメディアで圧倒的な人気だったようです。幸か不幸か、僕は映像でもその他でも”宮本武蔵”をまったく知りませんでした。だから、新聞連載当時、『朝日』の夕刊を待ち遠しく思った読者と同じように、ドキドキしながら全巻読み終えることができました。僕にとって武蔵は、”昔々、あるところに、宮本武蔵という強くて偉い人がおりました”というようなものではなく、もっと身近なものに感じられました。”人間の一生は宇宙と比べるとホコリより小さいけれど、それでも人間は、無限の力の存在を信じて、そこまで達したいと願う。・・・そのためには、一生自分と闘い続けなければならない・・・”
この物語りを読み進んでいくと、いつのまにか、武蔵を自分に置き換えるようになってしまい、一緒に悩み、呼吸しているうちに、なんだか他人とは思えなくなり・・・まあ、スケールの大小はともかく、自分の中にも武蔵がいるというかあるような気がしました。そしてこの気持ちは、このドラマを読んだり、観たりした人すべてに共通するものだと思えるのです。
さて、この武蔵を一年間演じるわけですが、・・・タバコを吸うべきか、吸わざるべきかで自分と闘い、毎回敗れている男が”武蔵をどう演ずるか!”などと考えてもしょうがない・・・今の自分をそのまま、このドラマの冒頭部分の武蔵――十七歳の悪たれ小僧――に置き換えて、武蔵が様々な物事にぶつかって、悩みそして努力して成長していったように、僕も武蔵の役を通して少しでも人間として、役者として成長したいと思っています。自分の心の中で、どんな気持ちが起こり、どう変化していくか、想像がつかないのですが、武蔵が人生をあきらめないで生き抜いたように、僕も一年間頑張りたいと思います。
当時28歳、若き役所氏の「たぎる想い」が出ている文章と言えるだろう。