ある状況にいることが義務づけられ、かつその状況下で自己の存在を希薄にしなければならない・・・そういう場面に長いあいだ置かれると、人間はどういった精神状態におちいるのか。
現代社会(都市での生活)というものが全てそういう要素を持ち合わせているところなのだろうが、この作品はタクシー運転手(役所広司)「たどん」と売れない作家(真田正之)「ちくわ」という2人の中年男を通してこの精神状態の変化を描いたオムニバス作品で、ラストでこの2作品が出会うという形式である。
映像としてのインパクトは「ちくわ」の方が強いが、ここは私設役所広司研究室なので「たどん」についてのみ紹介してみたい。
タクシーの客というのも多種多様で、それらが勝手なことを話している。「愛人とパトロン」「孫の手紙」「ビワ談義」「ホモ」「地球温暖化」「じゃんけん」「火葬場」とよよくまぁこんなくだらないことを・・・という感じ。でもよく考えると自分も客の立場だとしたら同じであることに気づく。
運転手の立場としてはそれらの話を目的地まで黙って聞いていなければならない。このストレスは相当のもの・・・運転手のストレスは増幅してゆく。たまたま乗ってきた態度の悪い客に対し、口論となったことから、ストレスは最高潮。
そんな状況に置かれたタクシーに客として乗り込んだのが(根津甚八)。本来タクシー運転手としては自己の存在を希薄にしておかなければならないところであるが、運転手は増幅したストレスを発散しようと色々と客に話を振ったりする。ところが客は全く反応しない。出身地の話でようやく会話が始まるが、客に仕事を尋ねた時の返事「たどん屋」に反応する。その後も自分の身の上を語りつづける運転手とそれを左から右に聞き流す客。その態度に対し再びストレスが徐々に高揚。客は一向に目的地に着かない運転手に対し質問したが「道のあるところを好きなように走っているだけだ」と突き放す運転手。「本当にたどん屋なの、あんた」ついにキレた運転手は・・・
役所広司はよく同じ女優と共演する事が多いという指摘がある。男優ならさしづめ本田博太郎・田口トモロヲということになるが、根津甚八もかなり共演作品の多い方だろう。(本作のほかに親戚たち・殺人の駒音・呪縛など)
キレた演技もヤクザ物以来久しぶりのところ。役所広司の特徴に「ハイ・トーンのキレ演技」がある。「うなぎ」「どら平太」の中にも一部こういう場面があったが、最近の作品ではなかなか見られないところだ。
(初稿2000/5/28)