このHPを開設してはや1年半。その間役所広司の色々な出演作品について評論してきたが、意図的に触れなかったのがこれである。良かれ悪しかれ、現在の役所広司の俳優としてのイメージ(中年の優男)を形成した作品である。そのため「役所広司=時代劇」派である管理人としては複雑な思いがあった。母親がレンタルビデオ店から借りてきた(私の母親がこういう行動をしたのはこれと「失楽園」のみである)際も頑なに観なかった。その後2回ほどTV放送されたが、ここでも観なかった。昨夏にLDを購入したが今まで観ずにいた。今考えるとここまで敬遠する必要はなかったのだが。
作品については今更触れるまでもないことであるので、管理人が感じたことを記しておこうと思う。
突然だが、趣味というものはえてして他人にはなかなか理解されないものである。特にその趣味がマイナーなものであるとそれは悲劇となる。その好例がパソコンである。ちなみに管理人は「パソコンが趣味」と言うことはおかしいと思っている(「フライパンで料理を作ることが趣味」な人はいても「フライパン」が趣味な人はいない。パソコンは所詮「道具」である)それはそれとして、かつて管理人が「パソコン」というものに対して持っていたイメージというと、「BASIC言語」だとか「マシン語」だとかいった会話をする一寸マニアな連中が持っている、市販ゲーム機(その頃だと「ファミコン」)よりいまいち機能的に落ちる高価なゲーム機、というものであった。要はマイナスイメージである。ところが現在こういった考えをする人は恐らくいないだろう。パソコンの場合、かつては他人に「パソコンが趣味」と言うことが憚られる状態であったが、今はそれがステータスと変わっている。
この逆が管理人の趣味の一つである「切手収集」である。管理人がインターネットを始めたのはほとんどこのためと言っても良いぐらいだ。外国切手を購入しようとした時に、アメリカあたりからインターネット通販で直接購入できるというのは大きな魅力である。ところでこの「切手収集」という趣味であるが、管理人の小学生の頃は友達の多くがやっているごく普通の趣味であり、それをやっていると話すことも全く憚られることはないことだったが、悲しいことに現在は全くマニアックな趣味となってしまっている。少なくとも会社の人や友達には「私の趣味は切手収集だ」とは言いにくい状況である。最先端のツールであるところのインターネットを収集に利用しているのにもかかわらず。だから会話の中で「あなたはインターネットを使って何しているの?」ときかれると「アメリカの切手商から切手を買っている」と言いたいところなのだが言えない。これはなかなかフラストレーションの増大するものだ。まさに江戸時代の「隠れキリシタン」の心境がこれなのだろうか。
なぜ長々と管理人の私的な話を続けたかというと、この「Shall we ダンス?」という映画の全編に流れる空気がまさに「マイナーな趣味を持った日本人の葛藤」だからだ。メーカーの経理課長というからまさに典型的な中堅サラリーマンである役所広司演ずる杉山は、帰宅途中の電車の窓から偶然見かけた社交ダンススクールで見かけた美女のことが気になる。そこですぐに行動を起こせばよいことなのだが、「社交ダンススクール」というのが普通のサラリーマンである杉山にはかなり敷居の高い場所となっている。ついに英断して電車を途中下車し、ダンススクールの入口に立つが、なかなか「次の一歩」が踏み出せない。(管理人は「NOVA」のCMを思い出した)結局不可抗力の助けを得ないと中にはいることができないのだった。入校してからもこの「趣味」を外部に知られないようにするためにかなりの努力をし(しかし行動の端々に現れてしまう)この趣味を持つようになった動機をダンススクールの仲間内にまで隠そうとする(しかしそれを見透かされている)あたりが情けない。このへんがいかにも小市民的である。役所広司の演技がそのあたりの情けなさを出していて好感が持てるところだ。杉山はこの趣味を家族にまで隠そうとする。結果妻は夫の行動に不信感を持ち、探偵まで雇ってしまう。「そこまでするか」とも思えるが、気になり出すとそういう行動をとるものなのだろう。そこまでして隠し通していたが、肝心なときに家族にばれていることを知り、周章狼狽し大失敗をしてしまう杉山氏の姿もいかにも小市民的。その一方でダンススクールの仲間であり会社の同僚の青木(竹中直人)のダンスシーンが雑誌に掲載され、その姿を見て笑っている部下たちに対してついに一喝するシーンは泣けてきた。前記のようにマイナーな趣味を持つ身としては・・・
結局杉山は何故ここまで苦労するのか。結局「日本人の感覚」なのだろう。一寸前この映画のパート2をトム・ハンクス主演で映画化するという話があったが、恐らくアメリカ人お得意のジョークであろう。他人と違うことをする(=マイナーな趣味を持つ)ことにより「笑われる」「仲間外れにされる」ことへの恐怖感。この「日本人的感覚」を個人社会であるアメリカ人には「面白い」と感じることはできても「自分たちが演ずる」ことはできないと管理人は思っている。
何か文化論的なことをだらだらと書いてしまったが、他にも杉山が妻と庭で踊るシーンあたりも泣けたし、本田博太郎が登場したときは「この人も役所広司と良く共演するナァ」と思ってしまったし、本木雅弘が「木本弘雅」役でゲスト出演しているのにはシリアスなシーンだったが笑ってしまった。
そして肝心の役所広司であるが、上記のように小市民的でありながら、やはり役所広司だけに格好がいい。自分のダンスセンスの無さを地道な努力でカバーしようとする姿や、舞先生に自分のダンスに対する思いを話すシーンの役所広司に男の色気を感じた方も多いのではないだろうか。この映画を見て役所広司のファンになったという方が多いのもうなずけるところである。
(初稿1999/5/5)